神社建築つづき~近世~

こんにちは。デザインチームの瀬尾です。
1月ですので、本日も引き続き神社建築のお話を。

本日ご紹介したいのは、神社の様式の中でも比較的歴史の新しい(と言っても1000年以上前ですが)権現造りについてです。代表的なものは日光東照宮や北野天満宮ですね。ご存じの方、実際に訪れたことがある方も多いのではないでしょうか。また、最近ですと2023年に大河ドラマで徳川家にスポットが当たったこともあり、日光東照宮は旅番組以外の露出も多かったように思います。

権現造りは、本殿と拝殿を石の間でつないでおり、上から見ると屋根が「工」の字のようになっているのが特徴です。(拝殿・石の間・本殿の3棟が一体化しているイメージ。)屋根は入母屋造りで、柱の配置は左右対称、拝殿の幅が最も広い、というのもポイントです。

ちなみに、日光東照宮は当初、本殿と拝殿の2つからなる構成だったそうで、後に石の間を取り込む権現造りに改められたそうです。『権現造り』の名前の由来は家康さんからの諡名から来ていますが、平面の形式は平安時代に既に登場しておりましたので、歴史の複雑さ(奥ゆかさ?)を思わずにはいられませんね。

日光東照宮には、わたしも何故か縁があり何度かお邪魔させて頂きました。何度見ても荘厳な姿に圧倒されます。そして、建築畑の視点から見ると、複数から構成されている権現造りの社殿は納め方も気になるところ。屋根や軒、組物、長押などキレイに納まっている姿に匠たちの腕の見せ所だったんだろうな…と、感慨深く見ていると、友人からは人と見ているところが違う、と言われることもしばしば。職業病ですね(笑)

ところで、日光東照宮にある五重塔をご覧になったことはありますか?

スカイツリーができたときにも注目されましたね。五重塔は地震に強いと言われますが、この五重塔も幾度もの大地震を経験しても健在で、この五重塔の免振機能はスカイツリーの制御システム(心柱制振)にも応用されました。

塔を貫く心柱は懸垂式で、礎石には据えられず、四重から吊り下げられて浮いています。江戸時代に考え出された工法ですが、五重塔の心柱が構造上塔身から独立しているため、塔身と分離した心柱は、免振の機能を果たすと考えられてきました。

12、3年前に心柱の特別公開がありまして、例にもれず出向いたのですが、写真が上手く撮れませんでした…。記録にあるにはありますが…お察しください。
こういった話を学ぶと、歴史がつながっている、という事を実感します。感慨深いものがありますね。何百年、何千年も前の技術が今に結び付くなんて、匠の技は偉大です。
今はもちろん、後世に恥じない仕事をしなければ、と思う今日この頃です。さて1月も今日で終わり。来月は何をご紹介しましょうか…、お付き合い頂ければ幸いです!

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